59年間も毎月1回の連続交流会・上原貞夫「15日会」会長あっぱれ!

群馬県内の結婚式の集合写真に未来の首相にまで登りつめた青年3人
(①小渕恵三、②橋本龍太郎、③森喜朗)が一緒に写っていた。これは奇跡だ。
④上原会長が写真を提供してくれた。(昭和38年撮影)
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 上原会長は昭和9年4月5日、群馬県吾妻郡吾妻町生まれ。父は群馬県内の警察署長(下仁田、長野原、渋川など)として活躍。

 今の上原会長は耳が少し遠くなったが、87歳にて健在。土日は生まれ故郷の上州で田畑を耕しているが、平日は奥さんと一緒に東京・永田町の事務所に顔を出す。夫婦共に人の面倒見よく、人あたりがよい。そこから上原人脈が生まれ、人間人脈となった。

 上原会長に人生航路をたずねると、上原さんが社会に出てきた20歳代は戦争の終わった昭和30年代──。

 この頃、日本はテレビ、センタクキ、レイゾウコなどの3種の神器がドッと出現して、電気街のメッカ、秋葉原は「白もの」で埋めつくされた。

 この時代、上原さんは電気の3神器を中心にして大手メーカーの宣伝マンとして、秋葉原とメーカーの間を東奔西走。そこで上州のミスター上原の名が売れ出す。

 昭和34年、正田美智子さん御成婚のミッチーブーム。世間の合言葉は「白黒テレビで皇室の結婚式を見ましょう」。

 さらに昭和39年の東京オリンピックで「カラーテレビで見よう」のキャッチフレーズ。敗戦後の日本経済復興ブームであり、青春の上原ブームの時代でした。

 上原さんが第1回の「15日会」をスタートしたのは、昭和38年8月だった。その時の会場は今の自民党本部でした。

 上原さんは格別、自民党の応援団ではなかったが、この頃、上原さんの故郷から当選するとは思っていなかった上原さんの3歳年下の小渕恵三が初当選したことで、早大の雄弁会グループも参加してきた。

 同期、同年代に森喜朗=石川(当時、四国の今松治郎、代議士秘書)、武部勤=北海道(当時、三木武夫事務所秘書)、塚田徹(塚田十一郎・新潟県知事の次男)、西岡武夫=長崎、橋本龍太郎=岡山、志賀節=岩手、らが政治家二世同志として上原さんの元に自然合流したのが、先の昭和38年の夏だった。夏に集合してきた仲間たちとパーティーを毎月「15日会」と名づけて以来、59年目。当時はホヤホヤ代議士秘書らがまじって「15日会」を続けていたが、それから10年後、小渕の同期の倉成正、中川一郎、渡辺ミッチーらの代議士らも参加。さらに大野伴睦の子、明(あきら)代議士も。各代議士も多忙になりすぎて、やがて一般社会人も参加するようになり、年齢、職業、出身地を問わず「来たい者は来たれ」という上原イズムの自然体が浸透していった。

 だから参加料3~4千円程度で(今も5~6千円程度)、会長は赤字覚悟の15日会パーティーだ。

 私が取材した(2020・10・29)中で、上記にあげた有名人で今なお健在なのは、武部元代議士、森喜朗元首相と上原会長の3人だけ。あとは故人となった。

 この59年間の中で休んだのは、昨年(2020年)の4月5月と今年(2021年)の5月6月だけ。これも会場がコロナ閉鎖されたため、やむなく中止したもの。

 さかのぼれば59年間皆勤で続けてきた「15日会」は、半世紀前の「国鉄ストライキ」の時代や「台風の日」まで強行してきたというのだから、「15日会」の風雪の歴史はすごい。

 ここまで「15日会」の年輪と共に生きてきた上原会長は、奥さんが2カ月前から入院しているものの「やめられなくなった。これも一つの執念ですよ。」と笑う。晩年の上原会長は、重厚感が出て和服姿がよく似合う。

 上原会長は上原事務所に近い国会議事堂を見てきた人生の政治総括として次のように短評した。

 ①政界がおもしろくなくなってきた。②昔は派閥の長に個性派が多かったが、今はそういう人がいなくなった。③中曽根康弘首相までは評価できるが、それ以降はスケールが小さい。④世界を見ても中曽根さんまでは「外交」が出来て、見劣りがしなかった──。

 上記の言葉が上原会長がこの世の政界に残す金言となろうと思うし、私も同感だ。

 (余談だが、私、村井は若い時代、毎日新聞記者としてスタート。当時、福田赳夫、中曽根康弘の両代議士は自民党の派閥の長。福田、中曽根は個別に月1回、高崎で地元記者を集めて、今月の永田町の出来事と称して勉強会を開いてくれた。今となっては私の人生の宝となった。その後。両氏は永田町で首相となったが、私もやがて追うようにして首相官邸記者となり、福田、中曽根、小渕の各首相と再会する運命となった)

 来年(2022年)8月、上原会長主催の「15日会」は60周年を迎える。これを機に上原会長夫妻を祝ってあげようではないか!

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 参考に群馬県内の某氏の結婚式の集合写真を見せてもらった。その写真には上原会長の他、首相にまで登りつめた青年3人(小渕恵三、森喜朗、橋本龍太郎)が映っていたが、私は今回、上原さんを含め、若き4人の青年の顔を見つけられなかった。

 それだけ、この写真は古く宝物の価値がある。たった1枚の写真の中に未来の首相となる3人が映っているとは奇跡だ。

 この原稿をかいている2日後(2021・10・31)は総選挙の投票日である。どんな顔ぶれが国会議事堂に登場してくるか!