コロナ禍の日本は無政府主義[アナーキズム]

= 死者1万6千人は安倍、菅、小池の後手後手の犠牲者 =

= 国民を路頭に迷わせた敗戦後の最低な内閣 =

 昨年(2020年)の年明け頃から世界中、コロナ禍が吹きまくり、今夏(2021年)、お盆現在で世界のコロナ感染者トップは、①米国3600万人(死者62万人)、②インド3200万人(同43万人)、③ブラジル2000万人(同57万人)

 日本国内ではコロナ感染者116万人(うち東京だけでピーク時1日の感染者5000人超)、全国のコロナ禍死者、合計1万6000人。

 上記の数字で見えてくるのは、世界のトップクラス犠牲者に比べれば、日本政府のコロナ禍の数字は大した数字ではない──と見ていたのは確かだ。

 このコロナ禍の死者1万6000人に対して涙する政治家を見たことがない。政治家たちは他人事と見ているだけだ。

 私は昨年(2020年)4月、「コロナ禍は弾丸のない空気飛沫戦争」の見出しでの警告のタイトルで、私の発行するジャパン・ツデイ(JAPAN TODAY [J・T])に載せた。この表現は重大なことなのに、他紙、テレビ、政治家にはなかった。

 これは大正7年(1918年)から大正9年(1921年)にかけて猛威をふるったスペイン風邪(世界人口の3~5%に当たる5000万人以上が死亡)を思い出しての咄嗟の判断であった。要するに「歴史に学べ」を教訓にしているだけで、難しい話ではない。

 ところが、日本政府もマスコミも初めは「そんな大問題に発展するはずはない」とタカをくくっていた。

 現に菅首相や小池都知事の初期の発言、さらに関西の兵庫県知事、愛知県知事らの発言を古新聞が証拠ですので見てください。

 東京は日本の中心(都民は日本人口の1割、1400万人)だから、東京はコロナ禍が流行(はや)っても、地方はそういうことにはならない、と笑いとばしていたのが、やがて今の現実の悲惨です。

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 しかも東京の人口が全国ダントツなのに、小池都知事の発言力は弱く、全国知事の中でも無能のタレント。コロナ拡散の原点は東京である。

「無責任だらけの偉い人たち」(週刊朝日、R3年6月26日号)では次のように批判する。

「1度目の緊急事態発言に行われた記者会見で『東京アラート』はレインボーブリッジを真っ赤にさせる演出で注目されたが、その後は感染者は50人を越えても発動されなくなり、都は数値基準をなくして運用を取りやめた」。

 当初、都知事は横文字(英語)とか幹事の4文字でテレビ等を利用して発信していたが、それでも都知事の思ったようなコロナ禍の下降線は見えず、「三密」にもあきられて、「家から出るな」、似たような「必要最低限の外出」を言うばかりで、具体的なコロナ禍防止のための政策や制度が見えてこない。

 これに対して大阪の吉村知事や関東の神奈川、埼玉、千葉(熊谷知事以降)の首都圏知事らは、コロナ禍の影響大きく、コロナ禍退治のための政策を次々と打ち出していったのは立派だった。

 小池都知事は首都圏では私のほうが格上よ──と言いたかったのがミエミエ。菅首相や関係する大臣と同席することはあっても、首都圏知事同席して政策を練ること珍しく、テレビに出る時も「小池、自分だけ」のシーンはイヤになっちゃう。

 本来、東京は人口密集地だから一番気合いを入れてコロナ対策をやらねばならないのに、真剣さがない。この件では天下の朝日新聞社にも批判されていた。

 そして当初、私の前の原稿でも書いたが、菅首相と小池知事の密談(会談)では、そこで何か話しあわれたのか、の記者の質問には、はぐらかすか「たいした内容ではない」と答えるだけで、都民(我々)にはほとんどその経過が説明されないできた。

 この上記の光景には、私は「菅首相と都知事は、ボールの投げっこをして時間かせぎばかりしている」と批判してきたが、今となっては全くその通り、現実のもとのなってきた。

「菅首相と小池氏は、これまでもサヤ当てをくり返してきた。官邸や都庁の双方の幹部は、コロナ対応を政争としか考えていない」と相手方のトップを批判。(朝日、2021・8・21)

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 昨年の春、と言っても5月ごろ以降の政治家、経済人、医師陣の専門家会議がスタートした時、医学界の長老(本人は防衛医大校の元医師)は「今のような専門家会議は必ず破綻する。問題の本質がわかっていない。人間の命を粗末にしすぎる。

 これでは、日本のコロナは日本列島に拡散してコロナ犠牲者は増大の一途をたどる。」と強く批判していた。

 今年(2021年)4月からワクチンの注射が話題になってきたが、時遅しで、ワクチン不足、医療難民、コロナ患者の病院不足、医師不足などは、すでに指摘されていた。

 なのにその後も後手後手の日本惨事列島と変わり果てた。菅首相は、医学界の忠告も無視して「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」をくり返すばかり。

 宣言ばかり何度もやれば「あゝまたか」という程度で、国民は政府の言うことをきかない。

 コロナは戦争であり有事。今や、無政府(アナーキー)状態ではないか。原因は安倍はじめ(正式には昨年(2020年)6月、安倍首相はは辞任を表明、同9月に菅にバトンタッチ)、菅も小池も含めて「オリンピックは絶対やるべし」で一貫しており、菅首相は「口ではコロナ禍の中で日本人の生活と命を守る」と言いながら、顔は百%財界を向いて景気第一で突っ走ってきた。結果がこの日本列島の悲劇を招いた。

 もちろん景気も必要だが、政府は景気に「前のめり」すぎた。ついでに加えて菅に「尻ぬぐい」をさせた、と私はみている。

 小池は小池で日本人口第一の都知事でありながら、責任を回避したい一心で逃げまくり、責任を負いそうな場面では首相と同席して政府のやることに従属するだけで、都の独自政策が何も見えてこない。

 他の関係大臣との共同記者会見でも「右と同じ」という風な態度で、小池の無策ぶりがあぶり出されている。野戦病院が必要だ、と騒いでいた小池案は、どこへ吹き飛んでしまったのか。

 人命を守らなければならないころな有事の時に、毎度、着せ替え人形のように、ファッションモードでテレビや民衆を意識した彼女の態度にウンザリしている。

 私がある民放の知人に相談したら、「小池さんは肝心の都知事でありながら、政策はいつも『自宅でいてください』とか『無用な外出をしないで』などどしか発言しないので、最近は神奈川、埼玉、千葉、さらに大阪あたりの質問になってしまう」とこぼしていた。

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 小池知事にしてみれば、私はオリンピック開催都市としての責任もある、と反論したい面もあろうが、これとて都のオリンピックの失態は余りある。

 本来、オリンピックというのは「都市」が主催するものであって「国家」ではない。それをコロナ有事にかまけて小池はコロナ禍惨事に消極的態度をとってきて、何かの公的行事だけに出演してコト足れりとする態度は見苦しいばかり。それを都民が見抜けないのが残念だ。

 特に都議選中、熱で入院というニュースを流していながらウソかマコトか知らないが、病を押して街頭に出て演説するさまは仲間の都議員からも、自民党顔負けの“演出”をするのだから、まいっちゃう‥‥と。

 私のこれまでの意見、主張に対して「主観的」すぎる、と反発意見もあろう。しかし現実のコロナ禍に対する国民の目は「客観的」にみて、政府や都知事、自治体に向けて批判の目はもっと厳しい。

 次にかかげる文は第三者の意見ばかりだが、何編か紹介しよう。

 朝日の「声」欄に、「情報軽視、戦力分散、コロナ敗戦」のタイトルで次のように載った。

「コロナ対策と日本社会のコロナ対策という二兎を追って、医療の戦力を分散してしまった。

 デルタ株ちいう強力な敵が現れているとの情報にもかかわらず、検査体制も強化せず、充分な対策も怠った。完全な政権の判断ミス」。

 (中略)「彼らの多くは自宅療養という美名のもと、医療組織からの援軍もなく、死に直面しつつ孤立して戦わざるを得ない状況だ

 現政権のコロナ対策は希望的観測に支配され、その場、その場の場当たり的作戦をくり返した旧日本軍の戦いぶりを見ているようだ」。(朝日、2021・8・24)

 自宅療養者、全国で10万人超と厚労省発表(朝日、2021・8・28)

 救急現場「災害だ」(朝日、2021・8・13)、そして朝日は「医療機能不全」「自分で身守る段階」(朝日、2021・8・13)とまで見出しをつけた。このタイトルで日本コロナ戦争は万事休す!まるで昭和20年の“終戦前夜”だ。

 しかも同じ自民党の現職、塩崎恭久(元厚生労働大臣)が雑誌「選択」(2021年9月号)の中で「政治家の無能が招いたコロナ国難」のタイトルでバッサリ!「週刊ポスト」は「患者見殺しにするろくでもない医者と病院」、「深まるワクチンの謎」‥‥ワクチンに関しては利権のうわさも飛んだ。

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 私がなぜ、ここまで他紙や週刊誌、雑誌などの批判文を並べたかというと、1年前から、これほどまでコロナ戦争、コロナ有事だというのに、政治家、政治評論家、新聞、テレビ・ジャーナリストたちは「打倒政府」、「打倒自民党」を叫ばないのか、という不思議である。

 特に今の日本のジャーナリストたちは、政治に「そんたく」しすぎて、報道の役目を果たしていない。安倍以降の日本政治は、国民の信頼薄く週刊誌にやられっ放し。ジャーナリズム報道は時代と空気に流されてはいけない。

 これほど国民が戦争もどきにいためつけられ、生活苦、倒産、離職、失業、食品・飲料業界中心のいじめ、自殺(特に女性)などが1年以上も続いているのに、冒頭に記したように日本は無政府主義に陥っている。

 国民は黙っていては「民主主義は死滅する」ということを悟るべき。若者が行動しない日本を憂える。

 今、自民党は4~5人の自民総裁候補の選挙を目前にして楽観論で、「靖国参拝は当然」とする候補や、安倍政権のたらし流した「モリ・カケ」や「桜の会」、そして「財務局の赤木俊夫さん自死の見直しはやらない」‥‥など、国民の本心とは逆行する嘘っ八の演説で華やいでいる。

 しかし、オリンピックは終わっても、コロナは依然、台風の目のように日本の中心地にあり、分科会の代表、尾身茂氏はじめ日本医学界は「コロナ収束は、まだ2~3年かかる」とみており、このころな対策は医療を軽視した政治家の無策と後手後手は、政治が日本にないに等しい。オリンピックは終わってもコロナは終わっていないのだ。冬に向けて第6波までささやかれている。

 コロナ禍の最中、野党はどうなのか。LGBT(同性愛)とか、結婚の夫婦名の別称問題など、重箱の隅をつついたようなことを政策に掲げているが、日本国家が今、北朝鮮によるミサイル攻撃にされたり、中国軍機の台湾攻撃の緊張の走る時、野党は何をやろうというのか。

 今の野党は自民党に向かって結束するわけではなし。バラバラ野党。国家の一番重要な目下の大問題、コロナや国防からそれて、まるで学生運動か学芸会のような珍風景である。トホホ‥‥としか言いようがない。

令和3年(2021年)8月
村井 実