ウソから出たマコトを演出して逃げた安倍首相

 安倍晋三首相が7年8カ月という日本の憲政史上、最長の首相を務め、令和3年9月、首相の座を下りた。

 モリ・トモ問題、桜を見る会、黒川検事総長昇格未遂問題・・・これらのどれをとっても無様(ぶざざま)な安倍を象徴した「ウソから出たマコト」を演出して去った。

 これは明らかに私は「安倍の政策の行き詰まりを病気に見せかけて逃げた」とみている。国民はそうした事実に気付いていない。

 話は古くなるが、私が現役の国会記者時代、当時27歳の中村喜四郎が自民の新人代議士として、国会議事堂に初登庁の朝、彼をとらえてインタビューした記憶がある。前途洋々だった。

 しかし、中村代議士は、途中、ゼネコン汚職事件で有罪となり失職。平成17年に国政復帰。今、中村代議士は当選14回、立憲民主党の衆院議員として活躍している。

 その中村代議士は令和2年10月2日の日刊「ゲンダイ」のインタビューに「50議席差まで詰めれば与党逆転可能」として次のように答えている。

「安倍さんは体調を崩し、投げ出す流れになっていくのをみんなよーく見ていた。次は菅さんと二階さんで決めるだろうという中で、菅さんが手を上げ、雪崩を打ったように後継が固まった。

 読み筋通りだったが、問題は1日でトップが決まるような国が民主主義国家と言えるのか。」

「野党がコロナ対応の国会審議を求めても3カ月も開かない。コロナ禍と言いながら、解散総選挙をチラつかせる。矛盾しています。

 強権的な国になり、独裁国家に突き進む可能性がある。」(以下略)

 この時、私は過去の自民党史をふり返って、小渕恵三首相が急に倒れて病床に伏している間、森喜朗を次の首相に立てようと、当時の自民党の有力な議員、野中広務ら5人の密会で森首相を決めた。国民からブーイングが飛んだ。

 今回の安倍から菅首相の誕生は、森首相誕生のいきさつとそっくりさんではないか。ここでも国民から強いブーイング。悪の「非民主主義」永田町の歴史は繰り返している。

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 安倍首相の成績表を総括すると、長期政権の割には内容なく、平均点以下の首相だった。私の周囲の人間は、安倍演説はカンナクズのような価値のないものばかりだったと言う。首相になった立場で委員会でヤジをとばす首相は安倍以前で見たことはない。ヤジの回数は100回以上だ、と聞いている。

 私は憲法改正は「安倍では絶対に出来ない」と再々、各紙に申し上げてきたが、その通りとなった。なぜかというと、「ウソ八百」を言いふらして憲法を改正しようとしても、国会発議は国会議員の3分の2を必要とする。

 今の自民党議員は楽に3分の3を得られようが、その先は「国民の半数」の賛成票を得られないと、憲法改正は認められない。従って安倍のイカサマ政治では国民の賛同bは得られない、というもの。

 こうした意見は私のみならず、大学教授らの中には「安倍の手で憲法改正は出来ないから安心している」と言っていた。それば国民の信用がなければ憲法改正できない(2分の1の賛成)を見越している。

 しかし、私は憲法9条に関しては、時間をかけて国民を説得する必要性がある時代にきている、と思っている。

 その点では安倍の公約である憲法改正は、人気とりの材料にしただけに終わった。

 経済では東京五輪や大阪万博であおったが、日銀を私物化して黒田総裁にしたものの、日本の経済回復につながらなかった。

 安倍時代が進むにつれ、IT企産業、未来企業に遅れをとって、米中はじめ韓国、台湾にまで追い込まれたのは、国際経済落ち目の日本の恥を知れ、と安倍に申し上げたい。(ハーバード大、スタンフォード大の経済学者、政治学者の声)

 この結果、日本社会は少数の金持ち階級と大多数の貧困社会に分断されつつある。

 また、安倍は過去の衆院参院で各3回、計6回ぐらいの国政選挙をやっているが、選挙後の国会開会を大幅に先のばしにしたり、国政に問題が発生すると、すぐ解散(衆院)に打って出てしまうというそくな手段で逃げてきた。

 それでは何のために国会があるのか、私は野党も学芸会並で評価していないが、安倍内閣は国民に討論の場を見せなかったのが多々あり、自民300議席(衆院)の一党独裁の横暴を見せつけた怒りは消えない。

 そして、この本文でも中村喜四郎氏が指摘しているように、「コロナ禍で大騒ぎ」されそうな時期に3カ月も国会審議をしなかった安倍の罪は重い。

 これを指摘しないで安倍隠しのコロナ禍ばかり指摘するのはスジ違い。安倍は政策が行き詰まり政権放棄した、と私はみている。コロナ禍まき散らしの初犯は安倍政権にある。

 しかも安倍から菅首相にバトンタッチされたが、安倍と菅はコインの表裏の関係にあり、安倍のゴマカシ政治は菅もそっくりまねており、菅政権もやがて苦境に陥るとみる。

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 次に歴史上、私が一番重要視してペンを執っているのは何かというと、安倍政権の時、「モリ・トモ問題」にしても「桜を見る会」にしても、官邸を軸にして政府要人や関係役人が協力してマル秘書類を改ざんしたり、文字を黒塗りにして真実を打ち消した。

 このほとんどは安倍の意向を受けたり、安倍に忖度してやらかしたものである、と国民は知り尽くしている。

 70年以上も前の日本敗戦について月刊文芸春秋の編集長だった歴史家、半藤一利氏は「歴史と戦争」(幻冬舎新書)の中で次のように書いている。

「陸軍省と参謀本部などがあった市ヶ谷台の庭では、終戦前日の8月14日の晩から15,16、17日まで延々と火が燃えていたそうです。陸軍が資料を燃やしていたんですね。ただ陸軍の悪口ばかりも言えない。新聞社もみんな日比谷公園に集まって、資料から写真まで燃やした。」

 半藤氏は続けて言う。「本当に日本人は歴史に対するしっかりとした責任というものを持たない民族なんですね。軍部だけではない。みんなが燃やしちゃったんですから。」

 私、村井は主張する。こういう暗い過去の終戦(敗戦)までの時代があったからこそ敗戦後の日本は、国家公務員の公正、正義を法律にしたためたのに、安倍政権では戦後70年の歴史の中で、ことごとく「黒塗り」や「削除」をして、国民を欺くという手段で逃げた。

 これは敗戦後、日本は民主主義の何の反省もなく、今日に至っていることを証明している。

 こんなことをやっていると、やがて次の歴史上で日本は必ず国家の転落、国家の没落につながる、ということを記しておく。

 戦後生まれの安倍坊ちゃんには、この「黒塗り」や「削除」の重要な意味がわかっていない。

 中曾根康弘首相は晩年、次のように述べている。「政治家は常に歴史法廷に立つ被告人である」──安倍には上記の活字を煎じて飲んでほしい。