誤魔化しが利かないコロナ死者数

= この国のかたち自体が崩壊する =

     検証・文芸春秋(令和3年2月号)

 菅「敗戦処理内閣」の自爆=片山杜秀(もりひで)=慶大教授、政治学者は次のように語っている。

 私たちは菅政権の“迷走ぶり”を毎日繰り返し見せられているわけですが、これからますます何か悪い方向に向かう歴史的な局面に立ち会っているのではないか、という嫌な予感がしています。(中略)

 大げさなようですが、ひょっとして「この国のかたち」(日本の統治機構)それ自体が崩壊する過程ではないか。

 こう思ってしまうのは、まず「安倍政権から菅政権への引き継ぎの仕方に、そうせざるを得なかった真の原因を糊塗するような“不誠実”さを感じるからです」

 安倍首相の辞任は表向きは「健康上の理由」とされています。しかし、安倍政権末期の一連の経緯を見ていると、コロナ危機を前にして、それまでのやり方が手詰まりになった。いわば「政権を放り出した」と思えてならない。

 ここに言う安倍政権の「それまでのやり方」とは一言で言えば“平時の非常時化”です。つまり“平時”において“非常時”を煽る。ありもしない危機を演じて、その危機から国民を守っているように見せかける。

 現在を実際よりも深刻に見せて、未来に希望を先延ばしする。これが安倍政権の得意技で、これによって政権浮揚を図ってきたのです。

 それほどの危機でないような時にJアラート(ミサイル発射などに対する全国民瞬時警戒システム)を鳴らして“危機”を煽ってみたり、東京五輪や大阪万博を誘致して、未来に何か良いことがあるかのように見せる。それな一種の幻想にすぎません。しかし、そう疑われても、また次の幻想を見せればいい。

 安倍政権は、こういう演出を一生懸命にやって延命してきました。ところが、コロナ危機で安倍政権は“本物の非常時”に直面した。(中略)

     *  *  *

 つまり、コロナという「いま目の前にある本物の危機」に対処しなければならなくなった。コロナという危機の実態は、具体的な数値となって表われます。

 検査数に限界があると言っても、「感染者数」の日々の推移はすぐに数値化されます。とくに「死者数」などは誤魔化しが利かない。

 こうなると目の前にある本物の危機を放置して、何か別の幻影で国民の目をそらすことなどできなくなります。

 こうした“本物の危機”に直面することで迷走し始めました。(以下略)

     *  *  *

 慶大の片山教授論文は、私はすでにJ・T(ジャパン・ツディ)で、①J・アラートの脅し、②政権の投げ出し、③コロナ禍の感染と死者のごまかし──を指摘してきたので、片山論文によって私の意見は間違っていないことを検証、証明した。

<村井リポート追伸>

 令和3年1月、アメリカの大統領選挙で敗れたトランプ大統領は、デモ隊とワシントンの国会議事堂を包囲して6人が死亡した。

 アメリカはこれまで世界の中の民主主義国家のモデルとされてきたのに、私はア然とした。

 これは地球の民主主義が崩壊の途にあると感じた。これによって中国はアメリカに対し恐れるものなし──これから米中の緊迫の時代に入る。

「平和」は最も大切だが「国防」もまた大切であり、車の両輪である。日本政府自民は日中緊迫をひと事のように語り、野党は黙して語らず、日本は平和しかないものと思い込んでいる。この日本の「ぐうたら政治」はどこへ流れていくのか。

 アメリカだけに頼る政治は危険である──と主張しているのは古代ギリシア国家の存亡に詳しい塩野七生(作家、在イタリア)氏である。これから「外交」で日本の真価が問われる。

令和3年(2021年)3月31日
村井 実