戦闘があったが憲法違反になるから「衝突」と換言

稲田防衛相の意味不明発言は重大な文民統制破り

 南スーダンのPKO(国連平和維持活動)問題で、連日、国会で稲田朋美防衛相が物議をかもしている。

 というのも、南スーダンPKO派遣部隊が作成した「日報」が!一度は廃棄されたとした情報狡獪請求に「不開示」となった。

 というのであれば、稲田防衛相は防衛省のカヤの外に置かれたのではないか!いや、もっと正直に言うと稲田防衛相に電子データを隠していたのではないか。

 推測だが、国会で野党やマスコミが騒ぐので、防衛省が1カ月後、言葉が悪いが仕方なく「白状」したようにとれる。

 報告が遅れた問題で、防衛省が調査委を設けようとすると、与党(自公)が反対し取りやめた。日本の与党は「文民統制」という原理全く理解していない。

 かつて藤井裕久・元蔵相(当時、民主党議員で引退)は、「今の国会ではムダは議員が100人」もいる、と言ってのけたが、さもありなん。

 本質的な重要なことは次ぎのことだ。昨年7月の南スーダンの首都ジュバのの様子について「戦闘」の文字があった。これに対し稲田防衛相は「戦闘という言葉は憲法上問題(=違憲)となるので武力衝突という言葉を使っている。」と強弁し、今日に至っている。3月の国会も、この問題で荒れるだろう。

 横道にそれるが、注目されることとして、左記の言葉は見逃せない。朝日の社説(2・21)から引用する。

 「驚いたのは制服組トップの河野克俊幕僚長が記者会見で、事実上、日報に『戦闘』の言葉を使わないよう部隊を指導した、と語ったことである。」

 だが、首都ジュバは目下、「戦闘」状態にある。それに目をそらし、あたかも何もなかったかのように、武力衝突という小さな「小ぜり合い」状態の言葉でわいしょうした時、果たして「文民統制」は守られるのだろうか。疑問に思う。


 かつて第2次大戦に入る真珠湾奇襲攻撃(S16.12.8)の直前まで、軍国日本政府の陸海空軍は都合のいい情報ばかりを昭和天皇に流し、本格的な世界大戦の戦闘状態に入った。

 サイパン島玉砕(S19.7.9)ごろから日本の戦況は押されて配線の色がこくなってきても、「関東軍、我れ勝てり」調で、先の3軍は天皇をだまし続けた。

 敗戦後になって明らかになったことだが、天皇は日本の3軍の報告情報はデタラメと気付き、アメリカ連合軍の短波放送を秘かに聞いて「第2次大戦の戦況、真相」を天皇なりに分析していた。

 こうした左記のことを私たちは、昭和天皇の日記や天皇の資料からくみとることができる。


 稲田防衛相発言に戻そう。——軍がどこかで都合が悪くなると、情報を曲解。抹殺して「文民統制」が機能しなくなる。戦中の歴史はそれを示している。

 そういう重大なことを稲田防衛相は、わかっているのだろうか。同防相の言葉を小学生向けにわかりやすく言うと、「実際に戦闘していても武力衝突という言葉を使えば、憲法違反にならない。」——こんなチンプンカンプンな説明になる。これでは小学生だって、何かヘンだな、と頭をかしげる。

 防衛相が恐れるのは「戦闘」と言ってしまえば、南スーダンの日本の自衛隊PKO部隊は憲法に照らして撤退して日本に帰国しなければならないからであろう。そういう命を張る危険な状態なら、日本自衛隊は帰国すべきなのである。

 それをごまかして「戦闘」という言葉を避けて「武力衝突」という文字で逃げまわる防衛相の姿はこっけいでさえある。

 私はいつも思っていることだが、稲田防衛相には大臣の荷が重すぎるのである。また、ほとんどの大臣が靖国神社参拝しない時でも「へのつっぱり」のよううにして、女ひとりで靖国詣する。ここでも私からみればアナクロニズム(時代錯誤)である。それほど靖国参拝したければ、大臣辞めてから毎日でも参拝してくれ!

 ワシントンでも東京・有楽町の外国人記者クラブでも「アジア侵略して負けた日本が、アメリカはおろか中韓にまで外交をむずかしくさせている。」と嘆いている。

 戦犯を祭る(祀る?)靖国詣での稲田防衛相は、政策はどうであれ安倍首相とは右翼の“思想的恋人”だから困ったものだ。戦犯愛好の時代錯誤は、どっちもどっちだ。

平成29年(2017)2月23日
村井 実


【参照】2013.3.11朝日新聞1面「南スーダン陸自撤収へ」

2017.3.25(土)実施
於:スーパーホテルLohas 1階レストラン 東京駅八重洲口城東小学校隣
《村井実セミナー》