日本の侵略戦争は自然の災害じゃない!

=「敗戦」を「終戦」の手品に置き換えて逃げた日本政府=

 「この国では、戦争が自然災害のように受け取られて、戦後が始まった。それが今の日本にもつながっている。」(平成27年1月1日 読売)

 右の話は、3年前の夏、映画「この国の空」を指揮した荒井晴彦監督の言葉として活字に残している。

 私はこの言葉を忘れられず、この言葉の重大性をいつか国民にわかりやすく、いや、将来の小中学生にわかりやすく伝えねば─と思っていた。

 あの第二次世界大戦(太平洋戦争)は、日本の「侵略戦争」でした。4年半の戦争を経て、昭和20年8月15日の「ポツダム宣言」で日本の敗戦が決まった。

 しかし、その後の日本は「敗戦」を敗戦と言わず、「終戦」という言葉に置き換えて、日本政府は以後、1億人の日本人を「終戦」という大ボラでごまかして定着させてきた。

 戦犯はどこへ行ったのか。靖国神社に隠れたのか。消えたのか。これこそ戦後最大の日本政府の大きな「手品」でなかったか!

 ポツダム宣言というのは、敗戦の昭和20年夏、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンの3巨頭会談によって、日本政府は、日本敗戦に調印した。この時、日本の態度は「命乞い」をする態度だった。(朝日)

 しかし、敗戦後生まれの首相・安倍某は、第一次内閣で「ポツダム宣言」なんて読んだことも見たこともない!「侵略」という言葉の定義がわからない─などとウソぶいた。

 私は昭和の終わり頃から平成にかけて渡米。米国の要人政治家たちに次々と会った。

 ジミー・カーター大統領、ジョージ・ブッシュ大統領(父)、ケネディ一族(ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官の長女、キャサリン・ケネディ=当時、メリーランド州副知事、同司法長官の長男、ジョセフ・P・ケネディⅡ=当時、米下院議員)らは、一様に日本を厳しく批判した。

 その一部をピックアップすると─日本がそれ(ポツダム宣言の否定、侵略の否定)を言ったらおしまいだよ。

 今さら侵略して負けた戦争に何を言うのか!民主主義の破壊だ。アメリカは当時の連合国を代表して日本と戦い、アメリカも大量の戦死者を出している。

 ワシントンが日本の首相の言葉に、いちいち文句を言ってこなかったのは、日本を取り巻く地政学で北朝鮮、中国、ロシアなどに囲まれた共産体制から守るため、アメリカは日米同盟を結び、ほどほどの友人関係を維持してきた。

 それが70年たったから「日本は侵略ではなかった」とか「ポツダム宣言の意味がわからない」というのでは、ワシントンは本気で怒るよ。

 ある上院議員は「この機に及んで、日本はなめている」と言い放った。こうしたワシントンの裏話は、私の弟が米の州立大学を卒業したあと在札アメリカ領事館に勤めていたことから、ここでは書けないほど、日本に対する批判が出ている。(米の守秘義務があり、人物明記できない)

 上の事実を日本の首相、日本の実体のない右翼団体、国会議員の「日本会議」連中は知ってのことか。日本会議は頭を冷やせと言いたい。

 歴史の事実を曲げては、敗戦後の日本の民主主義は成り立たない。だから私は第一次安倍内閣スタート時から安倍首相の批判をしてきた。

 この時の私に対する世間の風当たりは相当なもの。電話と手紙に閉口した。

 あらためて日本人諸君に伝えたいが、「過去の歴史を学ばない者は、再び未来の歴史を誤る」ということです。

 なぜ、このように敗戦70年もたつと、「戦前回帰」の運動が強まってきたか─を検証したい。

 敗戦直後、荒廃した日本列島に国民は「戦争はもうコリゴリ」というムードで漂っていた。

 国民の戦争犠牲者310万人(兵士280万人、民間人30万人)は、3.11の東北大震災津波の死者・行方不明者(2万2000人)の比ではない。

 そして、敗戦直後から昭和39年の東京オリンピックごろまでは、戦争体験者、戦地から帰還した復員兵士が全国に数多く散在していた。

 そんな中でも、傷病兵士たちが、片足、片腕、盲目姿の痛ましい人たちが、街角などに座って物乞いしていたのを覚えている。国家としての戦争は終わっても、個人の悲惨な戦争が終わっていない姿が、そこにあった。

 昭和35年の「岸アンポ」では、敗戦後、左翼の全盛期(当時、私は小樽の高校2年生)でした。

 しかし、日本は、池田勇人政権から戦後復興、経済成長が進むにつれ、戦争よりも経済至上主義に走り(それはそれで平和な社会で良いことでしたが‥‥)車社会、電化文化、テレビ時代と続いてきた。

 やがて昭和50年代に入ると、世界一の米経済を抜くほどの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の本がもてはやされるに至り、日本は戦争もなく平和を謳歌した。

 しかし、経済成長率は無限大ということはなく、角栄時代のオイルショック(昭和48年~同50年代)、そして米経済のリーマン・ショック(平成20年)などから、日本の地下暴落、銀行倒産などが忍び寄り、平成に入ってから日本経済は米中に押しきられ、地球の経済地図は一変してきた。

 そいした中での日本政界も、自民党議員であっても、太平洋戦争に参加した兵士の経験を持つ代議士や悲惨な戦争を知る議員たちは、思想に関係なく「戦争だけは反対」というガンコ議員が多くいた。

 ところが、永田町で名を成した有名な反戦政治家たち(後藤田正晴、宮沢喜一、野中広務ら‥‥)は次々と物故した。

 そこに戦争を知らない新人類から新新人類─敗戦後の若者国会議員たちが次々と永田町に登場。

 今の安倍首相にしても「戦争を知らない世代」として生まれているから「戦争を知らない世代こそ、戦争をしたがる」という空気が生まれた。

 その背景には、平成の30年間、北朝鮮の核ミサイルの脅威と拉致問題、中国の太平洋進出と尖閣諸島脅しなどの日本に対する外圧が大きく変化しているため、安倍政権の登場は、日本の「戦前回帰」の気流にうまく乗っかってきたことと無関係ではない。

 さらに2020年のオリンピック東京再来も、国民と安倍首相をお祭り気分にさせている。

 しかし、私たちはここで浮かれてはいけない。「戦前回帰」の空気を許してはいけない。

 かえりみると、戦時中の軍人、首相及びそれを取り巻く政治家は「無責任極まりない勝算のない無鉄砲な形」で国民を戦争にかりたてた。

 そこでは当時、マスコミさえも同調して、手の打ちようもない地獄のような形(無政府状態、広島・長崎への原爆、戦争で310万人死亡など)で「無条件降伏」で敗戦を迎えた。

 最近の安倍首相と官僚(佐川発言、柳瀬発言)を見ていると、戦中の陸海軍、政治家が天皇をだました姿にそっくり。

 また、最近の国会ではシビリアン・コントロール(文民統制)問題でも、南スーダンでの戦争を紛争に置き換えて日本国民をだまし続けている(公文書発覚でバレバレだが)。これに日本国民が気が付かなければならない。

 日本会議を中心とした安倍首相は、日本政治史の中でポツダム宣言と侵略戦争を否定したことで「敗戦後の民主主義を破壊した男」として後世に位置づけられるだろう。

村井 実
平成30年5月

〔注〕村井論文に関心のある人は、是非、半藤一利著の「歴史と戦争」(幻冬舎新書=780円)を愛読してほしい。目からウロコが落ちるはず。本の裏に次のようにダイジェスト版で紹介されている。「幕末・明治維新からの日本の近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。」「コチコチの愛国者ほど国民を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気が付かないっことにある。」「日本人は歴史に対する責任を持たない民族」─30冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。