歴史は繰り返す

=あきれる「政治ごっこ」のオンパレード=

 中国の習近平国家主席が米国のトランプ大統領の仕掛けた「貿易戦争」に不利とみたので、手のひらを返したようにして北京で日本の安倍晋三首相に笑顔で擦り寄ってきた(10・27、習~安倍会談)

 思い出してくれ!安倍第一次内閣がスタートした時代、尖閣列島の領土問題をめぐって日中はいがみ合い、北京入りした安倍首相と習主席の記念写真に習主席はにがりきった顔。安倍首相の顔をまともに見ないで、イヤイヤの握手。あのシーンを私は忘れない。

 それが数年もたたないうちに、習主席は三顧の礼を尽くすようにして日本政府に媚(こ)びを売った。

 中国は米国の貿易戦争に日本を巻き込んで、日中が対米戦で有利になるように仕掛けたものだが、したたかな中国は日本にとって、のどのトゲとなっている尖閣問題に触れることなく、また、アジアの公海で一方的に中国の軍事基地をめざす人工島の動きに触れることなく、日本と仲よしこよしになろうとするのは虫が良すぎる。

 朝日は社説で「日中首脳会談、新たな関係の一歩に」(10・28)と題して次のように記している。

 「安倍首相が訪中し、習近平国家主席と会談した。日本の首相が単独訪中するのは7年ぶり。両国関係について安倍首相は『競争から協調へ』と期待を示し、習氏も『正常な軌道』に戻りつつあることを確認した。2012年の尖閣国有化などを経て『最悪』と言われるほど悪化した関係が、ここまで改善したことを評価したい」(以下略)

 右の社説は、なんと「お人好し」の社説か。ものわかりが良すぎる。私よりもはるかに若い記者(論説陣?)の主張だと思うが、年輪が浅いのか、そんなに簡単に中国を信じてはいけません。

 40年前、田中角栄首相は「日中平和条約」を結んだが、たった40年の間に中国は手のひらを返して「日本いじめ」を繰り返して今日がある。歴史は繰り返しているのである。

 ところで日本では「憲法9条があるから平和がある」なんて考えるのは、昔の学生運動家たちにまかせておかばよい。半世紀後の現実の政治は全く違う。

 数年前、私の「ジャパン・ツデイ」紙で「良くも悪くも世界はアメリカ中心にまわっている」とタイトルを付けた。そして今、トランプ政権になると、「アメリカ・ファースト」を掲げて地球をかきまわしている。

 ジャーナリストとして人生に近くなってきた私の着地点は「地球は闘争の歴史‥‥国家として生き残るには車の両輪よろしく、欲張った言い方になるが『平和』も『国防』も両刀遣いが必要」なのである。要するに国家としてのバランス問題である。

 余談だが、安倍という男は「運のいい男」である。景気がさほどいいわけでもないのに、次なる東京オリンピックを目の前にして、なんとか見かけだけの「上げ底景気」(村井の造語)乗って今という時代を泳いでいる。

 自民党の政治家が多い割には、ここ数年、政治家は不作続きで、これといった政治家向きの政治家が少ない。だから安倍のような政策のない坊ちゃん政治家でも、政治に関心の薄い日本社会でも首相がつとまる。(イスラエル人の談話)

 そして「困った時の神頼み」でトランプ大統領に良くも悪くも、やられっ放しの習主席は助け船を、求めて日本に寄りそってきた。

 この神頼みに乗っかった安倍首相は、先に申したように「安倍という男は運のいい男」だと私はみている。たいした外交努力もせずに、一時的かもしれない他力本願で「親中の安倍」を手に入れた。

 また、これまで憲法9条をタテに平和合唱が多いから、歴代の首相たちは神経をつかい、防衛費の増減について野党の攻撃を受けてきた。

 ところが安倍政権になってから急に、北朝鮮のミサイル問題、中国の尖閣列島狙いから沖縄狙いまで浮上して、日本国憲法9条(平和)を祈っているだけでは国民は不安に思っている。

 日米安保(日米同盟)あるからといっても、トランプ大統領時代になると「アメリカ・ファースト」ばかりの大合唱で、日本国民は外野席扱いで動揺している。

 こんな時代になると、日本の一般的な国民は日本国力に見合った「国防」を強く訴える勢力も見えてきた。そこに現政権、安倍首相の登場だから、安倍首相は運のいいい男。防衛費増大は自然の成りゆきとみて、国民のそれほどの抵抗意識はない。モリカケや公文書では幼稚なウソばっかり言う男だが、総じて運のいい男である。

 それでも日本の政治は長持ちしているのだから「日本の政治家は気楽な稼業」(東京・有楽町の外人記者クラブの声)ときたもんだ!

 天国で昭和の喜劇王、クレイジーキャッツの植木等は「無責任男が平成時代にもいた」と大笑いしているだろう。

 古い話になるが私が学生時代の昭和47年ごろ、日本の主なる大学で「授業料値上げ反対闘争」にからんだ学生運動が頂点に達する。

 我が早大では各クラスの教室前は「ロックアウト」で授業は半年以上も休止。ロックアウトの中心は学生過激派の革マル、中核、社青同。そして穏健派の民青たちだった。

 そこで業をにやした大学側は、ロックアウトした学生運動家たちを排除するため、白昼、機動隊を早大構内に大量に突入させた。これに抵抗する早大の活動家学生32人を逮捕した。

 このうち我クラスの女性一人(社会党代議士の娘)も逮捕され、我がクラスは男子よりも女子が猛者(もさ)が多い、と陰口を言われた。

 そこで私が言いたいのは、セクト争いをしている学生運動家たちは普段、犬猿の仲なのに、機動隊突入の瞬間、活動家たちは、すでに用意していた大量の石を次々と機動隊に投げつけて抵抗。

 機動隊と学生運動家の合戦は数時間内に鎮圧された。「ごっこ」だったのだ。北海道の田舎から出てきたノンポリの私は、この光景を時計台(大隈講堂)の最上段の階段から眺めていた。

 この時、私の頭に浮かんだのは、学生のセクトの問題でどれだけいがみあっても戦っていても、それ以上の巨大な相手(権力)があらわれると、セクトもへったくれもない。

 必死で戦うためには、中核も革マルも社青同も民青も一致団結せざるを得ない本能のような塊(かたまり)となって身を守るということを学んだ。このシーンは50年たっても私は忘れない。

 そのような構図がそっくりそのまま日本の野党政治家にスッポリと当てはまる。参院選が近くなると、立憲民主も国民民主も希望の党も、慌てて権力政党(自民)に対抗するため、野党3派連合なるものを作り上げ、血統の違う共産党まで参入してくる。

 こんなにわか連合をこれまで何度、繰り返してきたことか。ほとんど政権交代の目(芽)はないのに――。だから私はいつも野党は税金泥棒だ、とののしっているのだ。「ごっこ」ば顔をもとかりで天下を取る気配が全くない。

 そして、日本の国会ではいかにも正義の月光仮面ぶっている野党の月光仮面たちは学芸会。いかにも明日にも政権交代と嘘ぶいている。ここでも「歴史は繰り返す」だけで、何の進歩もない。

 まともな国民は「ああ、またか」とあざけり笑っている。いいようがないからトホホ‥‥である。

 今の日本列島では現存の自民党から野党までブルトーザーで踏み潰して、新しい時代の新しいk顔を求めている国民が多いー-という声が、全国のあちこちから飛んでいる。

 「ブルトーザーで踏み潰し」というセリフは、おとなしい日本人の怒りがマグマのようにたまって秘(密)そんでいることを指している。右も左も政治家は心すべしである――。

平成30年(2018)10月28日
村井 実