追悼、ジョージ・ブッシュ大統領

 共和党の大統領、ジョージ・ブッシュ氏が11月30日、死去した。94歳だった。

 私が会ったのは平成4年春、ホワイトハウスでの青空記者会見場のローズガーデン(写真)でした。記者会見後、ブッシュ大統領は上機嫌で、私との記念撮影に、先に手を出して握手を求めてくれた。

 当時、ブッシュ大統領は2期目の大統領選(同年秋)を目指していたが、イラクがクウェートを侵略したことで、米軍がイラクに反撃して圧勝。

 私は、民主党の候補として浮上してきたクリントン候補に負けるとは思っていなかった。だが、同年7月ごろから人気がクリントン氏に向かって結局、ブッシュ大統領は1期4年でピリオドを打った。

 しかし、ブッシュ時代は功罪でいえば、「功」のほうがはるかに多かった、と私は思う。というのは、日本敗戦後、あれだけ長く「米ソ冷戦時代」が続く中で、平成元年(1989年)ソ連のゴルバチョフ書記長との間で「米ソ和解」という歴史的終結をみせたことは、米国の歴代大統領の中で特筆すべき実績を残した人物として評価される。

 一方、ブッシュ氏は日米開戦50年目(H3.12.8)のハワイの真珠湾式典で、次のような言葉を残したことに日本人として私は感銘する。

 「第二次大戦は歴史のかなたの出来事になっている。もはや恨みごとを言う時ではない。私の気持ちには、日本やドイツに対する憎しみは全くない。」と素直に述べると共に、今後の問題として「私は孤立主義と保護主義に反対する」と表明した。

 ブッシュ氏は30年後の今のアメリカ大統領行政を見越して「占っている」ようにもみえる。

 ジョージ・ブッシュ氏の理想米国論は、異色のトランプ米大統領の出現によって押し切られた。トランプ大統領は「米国ファースト」をモットーに世界を支配し、今のアジアは中国や北朝鮮まで加わって日本政治の前途は厳しい。

 ハワイ銀行が日米開戦50年を記念してテレビCMをやったことが、当時のNHKテレビで紹介された。その内容は「2つの国で1つの未来を」がキャッチフレーズだった。

 歴史は繰り返すのか。亡くなったジョージ・ブッシュ氏の声を聞いてみたかった。ブッシュ氏は心から日本を愛してくれた。合掌――。

平成30年(2018)12月
村井 実