Ⅱ 橋下徹の「政権奪取論」をのぞく 野党は米連邦議会議員の党内予備選挙を導入せよ

=乱立野党の調整に「世論調査」の利用を=

 橋下徹氏の著作本「政権奪取論」最終章の第6章「日本の新しい道」で、次のように書いている。

 「今の日本で保守とリベラルという区分けは全く無意味であり、あえて政党を区分けするなら、既得権を持つ人を固定支持層にする自民党と、そうでない野党だということを述べてきた」。(中略)

 私(村井)が、この「政権奪取論」(302頁)を1冊読んでみてハッと気付いたのは、最終章の最終(301頁)に次のような重要な活字があったからです。

 「アメリカの連邦議会議員候補者も、党内の予備選でかちあがらなければ、本選挙に出られない。この過程で切磋琢磨が求められる。

 日本の野党の候補者も事実上の予備選を実施して、候補者を切磋琢磨させるべきだ。実際の投票事務は困難なので、世論調査を活用すればよい。

 実施時期や回数などの細則をきちんと定め、候補者が定まっていない段階では党名を尋ねる世論調査も重ねればいい。

 この過程で世論調査のトップを取るために、候補者や各野党は努力することになるだろう。そして、これが各野党の力を強くしていく。

 まずは2019年の参院選での候補者調整。次に衆議院総選挙での候補者調整――そこでかく野党がある程度の塊(かたまり)になったら、一つにまとまることにチャレンジする」(以下略)

 右の活字こそ日本政治を改革する最大のテーマで、私はめの鱗(うろこ)が落ちる思いで読んだ。橋下徹君に脱帽する。

 識者、学者、政治家、ジャーナリストの中にはアメリカの選挙制度と日本のそれとは違う――と笑う者もあろうが、アメリカは民主党と共和党の二大政党であっても政治に支障はない。支障があるとすれば、トランプ大統領のワンマン政治であって、二大政党は健全だ。

 しかし、日本は多党であることが長年自民党の「一党独裁」を生み、民主主義は全く機能せず、「横綱・自民」対「十両・野党」との対戦。

 こんな対戦は初めから勝負は終わっている。国民は木戸銭払って(税金持ち出しの選挙)まで見る気もしない。

 だから全国の有効投票率は、過半数超えがようやっと――という国民の政治無関心ぶりがうかがえる。

 そこで橋下論に戻るが、先の橋下氏のカギカッコの文の前に次のように書いている。

 「これまでは、声の大きさ、態度のでかさ、カネの多さ、などで決まっていたが、これからはきちんとした世論調査の結果に基づくべきである。

 各野党内で、例えば、こんなルールを設ける。①当該選挙区に現職議員がいる場合、その者が原則立候補する。②現職議員が存在しない選挙区で、与野党現職議員に挑む野党候補者が複数存在する場合、世調の数字が一番高い者を候補者とする。③世調の実施団体は各政党が共同で選任する」。

 「自民は公認候補者になるために、自民党支部内において切磋琢磨されられる。いわゆる『政治力』を持った者が候補者として勝ち上がってくる。

 最近は公募候補者も多くなってきたようだが、当選後は自民党支部内でで揉(も)まれ、そこでうまくいかなかった者は弾き飛ばされる」。

 (村井・注=自民の厳しさに比べると野党の「連合」に守られている候補者は、全く政治家の器でない者たちが多すぎる)

 また、政治家という職業を選んだ人には耳の痛い話だろうが、橋下氏は次のように解説(296頁)している。

 「複数の政党が一つにまとまるのは、膨大なエネルギーが必要となる。政治家は我が強い。他人の下には付きたくなく、できる限り自分が上でいたい。自分が権力を持ちたい。

 これは政治家であれば、当たり前の欲であり、逆に、このような欲のない者が政治家になってもクソの役にも立たない」。

 ここから書く文は私(村井)の論だが、私がたびたび野党を「税金泥棒」とたたいてきた。野党は「政権交代」を声高に言っているものの、その心の中は野党が分散し合って互助精神でたらふく飯を食べてヌクヌクと生きている、というのが現実。そして野党内紛争でエネルギーを失い、本選で自民の前で戦死。

 そこを分からず保守だけをたたいて「野党ガンバレ」と言うのは、おめでたい人たちだ。

 敗戦後、これだけ堕落している野党はない。マスコミは野党たたきを控えているが、再考するがよい。

 その野党の国民を裏切るズル賢い胸の内を暴露しているのは、次の橋下論文にあからさまに表現されている、長文だが読者は続けて良く読んでほしい。

 「政権や大きな権力を取ろうとする強力な欲がない限り、現状のこじんまりした野党で甘んじる空気がある。

 現状のこじんまりして野党だと、野党の執行部も含め、そこそこの権力を持つことができる。ポストをある程度の数は確保できる。

 それが一つの野党になると、代表も執行部も一つになってしまう。その他の党内の役職も一つに整理されてしまう。

 今、各野党で代表や幹部・役職者として好きなようにやっている者が、一つの野党にまとまると、自分の地位がどうなるか分からなくなる。

 もともと一つの政党が分かれた場合には、価値観・理念・政治信条の違いもさることながら、人間的な恨みつらみがうっせきし、そうは簡単にもとのサヤに収まることなどできない。

 ゆえに、各政党はよほどのことがない限り、まとまらない。そのよほどのことは選挙で負ける危機感のことであり、まとまらなければ自分は選挙に落選してしまう、という危機感をメンバーが共有してはじめてまとまる動きが生じる。

 2017年の希望の党結成のドタバタ劇然り、2012年の日本維新の会結成然りである。(中略)

 今の野党の状況を見る限りは、いきなり一つの政党にまとまることは難しそうだ。特に立憲民主党や日本維新の会の議員は、それぞれ自党の看板で一定の議席を取れる自信がある。

 そして、野党で甘んじることさえ受け入れれば、自分の役職ポストを維持できて、優雅で楽しい政治活動を送ることができるからだ。

 しかし、各野党が乱立した状態では、野党候補者が選挙で勝つ可能性低く、結局自民党が与党として一強であり続けることは変わりない。(中略)

 ところが、この候補者調整が大変難しい。各政党が自分たちの勢力を拡大することに必死である。党所属の議員一人誕生すれば、それだけで数千万円の政党交付金が追加される。 

 さらに、比例代表制の選挙において自党名を書いてもらうには、各選挙区で自党の候補者をできる限り多く立候補させようとする。

 そして、各野党の候補者が一つの選挙区でぶつかり合った場合に、それを一本化するための機関がないため、話し合いや協議ではなかなかまとまらず、結局、複数候補者が立候補し、野党票を分け合って、自民党に敗北するというのが、お決まりのパターンだ」。

 ここで村井の主張と解説を入れるが、先の「政党交付金」の件で野党は何をやっているのか。有権者に見せたくないバトルの世界。「比例代表制」も自民に負けないドロドロとしたケンカ。

 そうした一面をマスコミは目をつぶっているのか、知らんふりをしているか、暗黒の世界だ。一般マスコミは紳士ぶって、そこまで侵入してこない。そこには週刊誌がエサとしたい問題が山ほどある。

 また、先の「一本化するための決定機関がないため」と橋下氏は指摘しいるが、決定機関を進んで積極的にまとめる政治家が出てこない。

 この問題は国会審議する必要なく、野党間で決定機関を作って合意できれば実現できる構想であり作戦だ。

 昔の話になるが、「55年体制」の自社時代、政権の取る気のない当時の社会党に対し、大手新聞を中心とするマスコミは社会党にジャブを出していい意味でのケンカを売っていたことを当時の国会記者だった私は思い出す。今のマスコミも、たるんでいる野党にケンカをふっかけるべきだ。要は自民党をたたく前に、野党がどこまで本気になって、有権者を巻き込んでいくか、にかかっている。

 橋下氏は最後に次のように結んでいる。

 強い野党を作るための最大の障壁となるのは、有権者の無関心だ。既得権を持った支持層をがっちりと固めている与党自民党にとっては、政治に無関心で投票に来ない有権者が増えるほど、一部の固定票だけで勝つことができて好都合だ。

 たしかに現在の野党はだらしがない。「あなたの一票で世の中が変わる」などどいうのはきれいごとで、今、野党に一票を投じたところで何も変わらない。

 しかし、それでも今の政権、今の政治、そして今の生活に不満があるなら、皆さんには是非、投票に足を運んでほしい。そして野党を育てるという姿勢で一票を投じてほしい。

   * * *

 村井と対談した田中角栄首相との「角栄語録」を載せておこう。

 「政治とは生活だ!民主主義は数だ。数の多数決で天下を取らなければ、1円だって予算を動かすことができない。その予算を取るためにワシらは『権力闘争』をやっている――」この言葉を今に野党に贈る。

平成30年(2018)12月13日
村井 実