さようなら「平成」、こんにちは「令和」

=皇室に言論の自由ないことを憂える=

 昨日(4月30日)で平成が終わり、今日から元号は令和元年となり、新しい5月1日がスタートした。

 この日、昼間の銀座の街路樹は約10メートル間隔で真新しい日の丸の旗が並んでいる。銀座の空気は平和で新天皇にふさわしい。来年の東京オリンピックを控えて銀座街は外人観光客多く、東京の国際都市がにじんでいる。

 昭和天皇は望んでもいない戦争に引きずりこまれて310万人(兵士戦死280万人、民間人死亡30万人)犠牲者を出した有史以来の日本の悲劇だった。

 平成の30年間は地震、津波、水害の自然災害が多かったものの、「戦争のない時代」だったことは特筆できる。

 そういう平成時代の中にあって平成天皇、皇后は戦中、日本の侵略戦争で多大な迷惑をかけた国々に慰霊の旅に出た。そして日本列島の災害被災者に対して励ましの旅を続けたことで、日本国民から、世界から尊敬されたゆえんである。

 そこで私がなぜ、ここでペンを執ったかというと、平成天皇が本日から「一般平民」になられたことを大いに祝福したい。自由人だ!

 古い話になるが、昭和45年頃(?)、イザヤベンダサン著(著者は故・山本七平とうわさされながら仮面のまま死去)「日本人とユダヤ人」がベストセラーになった。

 この時、私は「長嶋茂雄選手(巨人軍)が10年に1人の名選手とすれば『ユダヤと日本人』は10年に1冊の名著」と絶賛した。

 その中身は「日本人は水と自由は空気同様、タダだと思っている。世界の自由諸国は戦争で血を流して獲得したもの。四海に囲まれた日本人は、それを分っていない」──。

 上に書いた当時の私に文は、人間の生き方として「自由が最も大切」なものとして捉えていた。(注・だから私は学生時代から共産・社会主義は問題外)そこから次の文が生まれる。

 天皇といえども人間であり、自由でありたいのは自然である。美智子妃は青春時代まで東京・品川の正田家で育ち、一時的でも青春を謳歌している。

 しかし、昨日までの平成天皇(さかのぼって歴代天皇もだが‥‥)は、カゴの中の鳥で皇居周辺5キロの自由はあったが、それ以上の「自由」はなかった。このことは結婚を期に美智子妃も同様。

 上記の論に対して自由をなくしても「日本国の皇室の名誉と権威」を受けている、という反論もあろう。 

 しかし、もしあなた(読者)が天皇や皇太子の肩書きを付けられて「自由」がなくなったら、どうしますか。これほど「不自由」な世界はない。

 これらの論を足して2で割ると、「完全な自由」ではないが、私が以前から提案している「天皇にも定年制を」というソフトランディングの案も悪くはない。

 3年前の8月、平成天皇は遠まわしに憲法に触れない程度で「天皇といえども老いることを考慮して、終身制ではなく引退制にしてほしい」と主張。

 しかし、時の安倍政権はこれを許さず「平成天皇に限って特別引退を認める」とした。令和天皇時代に「天皇の定年制」を論ずべきだ。

 さらに令和天皇時代に女子、女系天皇、男子、男系天皇の論が論争の的になろうが、日本歴史の中で女性天皇時代は数例ある。だから、そういうことに拘わらず、私は女帝でもかまわない、と思う。

 男女平等の尊重からみれば、それも自然の摂理ではないか。そして次世代の皇室がいつまでも男子、男系とは限らない。

 今の女子の多い皇室では将来、男子、男系がストップすることもありうる。そのことを今から考えなければ遅いくらいだ。政治の怠慢だ。

 私が現役の国会記者時代、首相だった田中角栄、三木武夫、福田赳夫時代だったころ、衆院、参院での通常国会や臨時国会には天皇が出席して開会宣言していた。その頃、日本共産党は「天皇制否定」で日共国会議員は全員その場を退場した。

 しかし、いつごろから日共議員の退場をやめたのか知らないが、最近の日共はおとなしく衆参の天皇の開会式に出席し、令和天皇の即位にも「歓迎のお言葉」を述べている。いつの間にか、私の時代とは変わった。

 戦前、戦中の大陸侵略の時代は別として、日本は限りなく民族は単一民族であり、(一部に北海道アイヌ民族3万3千人)闘争、戦争らしきものなく、政治は自民であっても共産党であっても天皇制があるからまとまれる、という日本民族の自負がある。

 だから、私も天皇制には反対はない。しかし、天皇制には賛成するが、次世代の日本人に伝えておこう。天皇制は戦前ののような「神とする」ことには断固反対。敗戦後の日本国憲法の下のように「天皇は象徴制」を守るべし。

 敗戦後の昭和、平成、令和の天皇は「天皇象徴制」を継いできた。私も先の3天皇に同調する。従って自民党が試案で出している「天皇元首制」には断固反対する。

 元首とは「首相」「大統領」同様──と辞書で解説されている。

 戦前、天皇を政治に組み入れていたことで、天皇を神とみたてて昭和20年、日本は崩壊した。

 その反省から平成天皇時代は前記したように日本に侵略されて犠牲者を出した国々に慰霊の旅をした。一方で日本国内での災害地に見舞いの旅に出たことなどが、国民から圧倒的に高い支持率を得ている。

 しかし、この異常とも見える天皇バンザイ的な昨今の国民の過熱気味は支持は「いつか来た道」、戦前のような「現人神」(あらひとがみ)を生むものではないのか、私は別の意味で危惧する。

 そろそろ日本のマスコミは熱狂的な皇室ニュース、記事は冷めて扱ってほしい。はしゃぎすぎだ。

 そのはしゃぎすぎは、令和天皇が雅子妃と御成婚後、ほどなく雅子妃が体調をこわし、正常な皇室行事にも参加できず、マスコミ、週刊誌はあらぬ理由をつけて雅子妃を追いこんだ。

 あの病気は「統合失調症」で、天候の悪い日に発症しやすく、季節でみれば12月から5月ごろに集中する。

 そうしたことを知らないマスコミは雅子妃を追い込んだ。再び病気を繰り返す恐れもあるので、マスコミは自重してあたたかく見守ることが大切。

 私は昭和天皇の末期、宮内庁記者も担当した。それまで政局と政策中心、人間関係の闘争現場で命に別状ないが、雅子妃の病状を追う記者、とりわけ週刊誌記者たちは、もう少し勉強してほしい。

 皇室記事は何でも売れるという商魂たくましい背景があるから、何でも書く、という社会風潮に反対する。皇室とおいえども、プライベートな「人権」というものがある。

 美智子妃時代、美智子妃パッシングで同妃は「声の出ない病気」になられたことがあった。そのころ、宮内庁は皇室取材の自粛を申し出たことがあったが、マスコミはおもしろおかしく記事にして金もうけに走った。それが美智子妃の病気を誘った。マスコミは今まで、その謝罪はない。マスコミの裏社会でいうところの「書き得」(かきどく)というやつである。

 それは、皇室から訴えられる、ということはないとみて真偽も確かめずに気楽にペンを走らせている場合が多い。

 皇室といえども、プライベートな「人権」というものがある。今の日本社会は「皇室の個人の人権」といものを完全に無視している。

 ジャーナリストのはしくれから見ると、残念である。皇室の言論に自由がない。マスコミは考えるべきだ。

令和元年(2019)5月1日
村井 実