日本のトップが阿呆だった太平洋戦争

=日本兵戦死の7割が飢餓死だった=

=「財力」なく「情報」怠っては勝ち目なし=

 昨年(H30年)春に出版されたものだが、半藤一利著「歴史と戦争」(幻冬舎新書、208頁、780円)──これほど読みやすく、おもしろく、わかりやすい本音の日本敗戦までの本はない。

 歴史ものは時代の空気に左右されたり、色めがねで見られたり、偏向思想のケースが多いが、半藤氏は戦争を庶民の目線から述べており、真実で貫かれている。

 私はジャーナリストとして半世紀生きてきて思うことは、日本はあの太平洋戦争で、なぜ310万人(兵士280万人、民間人30万人)もの死者を出したのか……。

 年をとればとるほど、死ぬまでにこのテーマを追っていかなければならない日本人。私の使命とまで、勝手に考えるようになった。この本は私の人生の中でバイブル(聖書)となつほど重みのある日本歴史本である。

 そこから重要な点をダイジェスト版として私なりに3点あげると次のようになる。

 その1、タイトルは「昭和16年春、石原莞爾の予言」(78頁)開戦直後、立命館大学の国防学の講義で石原は「この戦争は負けますなあ。財布に千円しかないのに、1万円の買い物をしようとしているのだから負けるに決まっている。アメリカは百万円をもってて1万円の買い物をしている。そんなアメリカと日本が戦って勝てるわけありません」と。

 実は私、村井は50年以上も昔、モントリオール(カナダ)のオリンピック特派員を終えてワシントンやニューヨークに入ったが、この時、ニューヨークのエンパイヤ―・ステートビル(102階、400メートル)にエレベーターで頂上(屋上)まで行った。

 この超高層びるは大正時代にアメリカは着手しており、こんな大国と戦ったこと自体、私はなんと日本は無謀な戦争に突入したのか!、と思ったものです。

 その当時(太平洋戦争)の日米の国力(戦争力)は雲泥の差で、「月とスッポン」とはこのことだ。

 この石原発言の眼力はすごい。この「歴史と戦争」の本の中での圧巻をみるが、この発言の重みは敗戦後、それほど国民に伝わっていない。

 私が言いたいのは、要するに、「正義を押しのけて戦争とは国力であり経済力」である。

 その理論は21世紀の今日でも立派に通用しており、地球が良きにつけ悪しきにつけアメリカにふりまわされている現実は、国力・イコール・戦争力で証明されている。<冷酷な言い方になるが、戦争の敗戦者は消され、生き残った者が歴史を作っていく>。

 その2、は「餓死者70パーセント」のタイトルの中(152頁)で「大本営の学校秀才的参謀どもの軌条で立てた作戦計画のために、太平洋戦争において陸海軍将兵(軍属も含む)は240万人が戦死した。このうち広義の飢餓による死者は70%に及ぶ。余りに手を広げすぎたために、食糧、薬品、弾丸など補給したくても、とてもかなわぬお粗末さ。兵隊はガリガリの骨と皮となって、無念の死で死ななければならなかった。」

 敗戦後の日本は先にも記したように、戦死者280万人と公表されているが、実態は陸海軍だけでみると、広義の飢餓死者は70%だというから、戦わずに飢餓死した兵士がいかに多かったことか。この無謀な日本政府、陸軍、海軍にあきれる。バカ、アホ、マヌケのたぐいだ。(これが第二次世界大戦の村井の総括だ!)

 そこで新聞記者出身の私は主張したい。東條英機と同じ年の山本五十六(連合艦隊司令長官)は36才で渡米してハーバード大学で学び、42才で日本大使館の駐在武官。合計6年間のアメリカ生活を送っている。

 ここで山本はイヤというほどアメリカの国力(軍事力)を知った。ゆえに、山本は負ける戦争を回避したかった。それがほとんど生かされておらず、時の政府、陸海軍は戦争大賛成で、山本は死を覚悟して空で散った(S18、4月、60才)

 そこで言いたいのは、情報を持たない国は滅亡する、ということ。駐米武官たちの電話は「盗聴」されていた。大本営は情報を怠っていたことが命とり。310万人の英霊に申し訳がたたない。

 その3、は「なぜ日本人は終戦と呼んだのか」(136頁)のタイトルの中で半藤氏は次のように語る。

 「明らかに敗戦なのに『終戦』と呼び替えたことが、『負けた』という事実を認めようとしない。あるいは、それを誤魔化そうとする指導者たちの詐術のごとくに、批判的に指摘されている。それっはもう、そのとおりである。しかし、当時、国民が敗戦を終戦と呼んだのは、単に『敗戦』という表現を嫌ったという理由だけではないように思われる。そこには1億総兵士、1億玉砕まで戦うという総動員体制がスウ―と消え去ったという安堵感があり、とにかく、これ以上戦わなくていいのだ、戦争が終わったのだ、という安心した気持ちに『終戦』という言葉はピッタリ国民的な実感があったのである」。

 この当時の世論は全くわからないが、(終戦時私は2歳)半藤氏の言う空気だったのだろう。

 しかし、私は日本歴史をひもとく中で、あの戦争は敗戦後、70年経ったとしても侵略戦争であり忘れてはならない。歴史教科書の中で敗戦えおきちんと説明すべきだったと思う。

 それがないから「あの戦争は戦争じゃなくて自然災害」にでもあったように風化してきた。昭和後半と平成を走ってきた私たちは、次世代の若者に伝えていく義務がある。

 特に日本の歴史ものはウソ、美化、英雄扱い多く、ライシャワー氏(ハーバード大教授、駐日大使)の著書「ジャパニーズ」の日本史のほうが日米戦争に中立。

 私はこの本が参考になった。

 また半藤氏は「歴史と戦争」の本の中で、次のように解説する。

 「1億総ざんげは(中略)みんなして悪かったんだから、お互いに責めるのはよそうじゃないかという『なあなあ主義』にもつながり、もし(中略9そして、この先、皆がなんとなしに『そうゆうもんか』と、責任追及しなくなった印象があるのです」(140頁)

 上記の問題について同氏は「A級戦犯合祀に関わる私の考え」(181頁)と題して次のように主張。

 「(前略)靖国神社では昭和53年、A級戦犯の14名を昭和殉難者として合祀した。日本国民んに対して、とてつもない戦争責任を負っている彼らが、なんと殉難者だというのです。たしかに彼らは戦犯(犯罪者)でなくなったが、戦争を起こし遂行した責任者。はたしてその戦争責任者の中に非業の死を遂げた殉難者と呼べる人がいるか。」

 さらに次の142頁では「大東亜共栄圏も、戦争指導者の根拠として、あとからとってつけた政治的目標にすぎなかった。」

 私の意見をはさむと「大戦では日本はアジアの一部の国を解放して独立国にした」と説明する人もいるが、これこそ敗戦後のとってつけた歴史観だ。最近の政治の総選挙、解散も理由はあとからついてくるか、あとからとってつけた政局のスローガンが多い。

 その4、として私・村井は勝手に次の文を紹介したい。「こうした日本をおおった空気がその後、ずっと歴史を知らない数世代を生み出し、あれから70年が経ったのである。歴史を学べ、との声がしきりに繰り返しても、歴史から何を学ぶかについての答えが容易ではないのは、やむを得ないのである」。

 私も半藤氏と同様、「歴史を学べ」と再度、申しあげたい。半藤氏は「歴史から学ぶのは容易ではない」と謙虚だが、半藤氏の「歴史と戦争」を読めば答えが出てくる。

 半藤氏はこの本の末尾で次のようにしめくくっている。

 「(前略)万世一系の天皇は神であり、日本民族は世界一優秀であり、この国の使命は世界史を新しく書きかえることにあった。日本軍は無敵であり、天にまします神はかならず大日本帝国を救い給うのである。このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを重ねてみたところで、それを虚構とは考えられないのではなかったか。そんな日本をもう一度つくってはならない。それが本書の結論と、今はそう考えている。」(次号に続く=村井)

令和元年(2019)5月26日
村井 実