日高山脈の麓に土地2万5000坪

=「コンドミニアム・ホテル」や「セカンドハウス」に=

 北海道の日高山脈に近い日高町(沙流郡日高町字日高)が私、村井(当新聞編集長)の生まれ故郷。町の中心街に村井家は約2万5000坪の土地を所有。個人住宅地として42軒を借地に。まだ3000坪を空地で遊ばせている。

 私の幼少時代は、村井家の両隣に広瀬一族と今井一族が広大な土地を所有していた。これが日高町での御三家だった。

 しかし、今井一族の土地は昭和30年代に消え、広瀬一族の土地は昭和40年代から50年代にかけて消えていた。

 残った我、村井家の土地は農場だったが、時代と共に昭和40年代から田畑が住宅地に変身。そこはやがて自然に街の中心地となった。

 その昔、明治時代に祖父母が富山県から北海道開拓を目指して、船で小樽に上陸。そこから更に山奥へと入り、日高山脈の麓(ふもと)にたどり着き、アイヌ人の多い今の日高村(のちの日高町)で農場を開く。

 今から10年前に隣の平取町(びらとりちょう)を超えて、太平洋岸の日高門別町(人口、1万人)と飛び石合併したが、町名は従来通りの日高町(現在人口は日高門別町と合わせて1万2000人)

 当時、町には高校がなかったので、私は中3から小樽の親戚に下宿して4年間、小樽生活。

 高卒後、小樽から東京へ出て「東京出稼ぎ」。農場を継がそうとした親父から猛烈に進学を反対されて、やむなく東京に裸一貫で脱走!下町で新聞少年のスタート。

 日本はやがて経済成長期に入り、日高町にも高度経済の波が押し寄せ「日高国際スキー場」が完成。
夜間スキーOKなので、周辺はじめ多方面から観光客が集まった。

 日高山脈は世界一高いエベレスト山と同様、海がせり上がって誕生した山脈。

 近年の気象は、日本列島が亜熱帯列島に変化し、夏の本州は猛暑すぎて、日常は不快すぎる。

 これを避けて快適生活を送られると、地元民は自慢する。「北海道の日高は6月の梅雨(つゆ)なく、7、8、9、10月(例年10月20日ごろ初雪)までは気楽に暮らせる」と。

 日高町は海抜278メートルの台地。この快適な生活を保障する我が故郷・日高は、①「定住」でも、②「期間限定住民」でも、③コンドミニアム方式の低額の「仲間との共同会員」でも可。

 ぜひ、この北海道日高町の大自然を利用してください。

 村井家から1000メートル近くに日高国際スキー場があり、スキー場の下には日高山脈源流から沙流川(さりゅうがわ)の清流が流れる。沙流川は住民が住む台地から50メートル低く、雨の洪水はない。

 私たちが小さい頃から遊んできた母なる沙流川は、人生をいやしてくれました。日高山脈から流れてくる石は「青色」で名が知られ、沙流川石は「庭石」としても有名。日高町で生活(セカンドハウス)を送りたい方は、村井(K・D=070-6640-2034=東京在住)まで御連絡ください。
相談に応じます。

 交通は、数年前に千歳空港→帯広→釧路ルートの高速道路が完成したため、車では、千歳→占冠(しむかっぷ)まで1時間半。占冠から日高町まで30分。

 列車は、千歳空港→南千歳駅(乗り換え)→占冠駅下車まで1時間半。さらにバスで日高町まで30分。

令和元年(2019年)4月
村井 実